企画の動機(企画:髙松智行)
2006年秋。私は横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校において担任した5年生の子どもたちを連れて、神奈川県立近代美術館鎌倉を訪れました。それは、感情的に罵り合う子と沈黙を守る子の二極化から、学級内でトラブルが絶えない状況にあったからです。彼らは、学校とは一線を引く「静寂」の時間や「個」が保障された空間において「美術作品」を「感じる」ことから自分の言葉を紡ぎ出し、他者の言葉にも耳を傾けることを覚えていきました。
そのわずか半年後の2007年春。ある一人の子の紹介で戦没画学生慰霊美術館無言館の存在を知った彼らは、同じように鑑賞を試みようとしますが、これまでにない沈黙と葛藤を強いられることになります。それは、無言館の作品は近代美術館の作品とは異なり、造形的な特徴が少ない学生の作品である上に、画家になる志半ばで“戦死した”学生という背景をもっていたからです。
2007年夏。子どもたちは初めて無言館を訪問しますが、画学生の作品や遺品、空間全体が発する根源的な問いを前に言葉を失い、戦争に翻弄された画学生の人生に涙する子もいました。しかし、彼らとはその後も自らの沈黙の中にある思いを言葉にしようと窪島館主の著書を精読し、作品鑑賞を繰り返しました。そして、卒業を控えた彼らは、念願であった窪島館主との交流授業を企て、実現できたことで活動に一つの区切りを迎えることとなりました。
その一方で私には、2年間、彼らと美術館体験を繰り返す中で、既にある疑問が生じていました。子どもの頃の鑑賞体験が、時の移ろいの中でどのように変化し、未来にどのようなカタチで表出するのか。私は彼らが成人を迎える年まで、同じ美術館、同じ作品を前に成長していく過程を映像として残そうと考えていたところ、知人の紹介で森内康博監督と出会いました。
そして、2009年には神奈川県立近代美術館鎌倉を舞台にした映画『Museum Trip』を、2011年には無言館を舞台にした映画『青色の画布-十五歳、もうひとつの無言館-』を企画し、森内監督の映画制作に関わってきました。
映画『青色の画布』のラストシーン。画学生の「死」に言葉を失った小学6年生の夏以来、3年ぶりに無言館を訪問した彼らは、戦時下という不条理な社会状況の中でも美術を通して「私」を表現した画学生の生き方と対峙します。そして、画学生と思春期となり悩みの尽きない日常生活の中で「私」を見失いつつある自らを比較しながら「表現」について考えを巡らせ、内なる声をカメラの前で吐露しました。
その告白から4年が経過した2015年。彼らは成人を迎え、画学生と同じ歳頃になりました。彼らが再び無言館に集い、作品を前にした時、今度は画学生の何をみつめ、何を感じ、どのような言葉を紡ぎ出すのか。そんな思いから私は映画『二十歳の無言館』を企画し、彼らと共に三度、無言館を訪問する機会をつくりました。
本作『二十歳の無言館』をご覧いただいた方には、子どもたちの8年に及ぶ成長をみつめながら、今日の社会における「美術館」の存在意義とともに、「教育」という営みについて考える機会にしていただければと思います。
プロフィール 髙松智行
『二十歳の無言館』企画者。小学校教員。カマクラ図工室代表。横浜国立大学教育学部美術科卒業。
映画の狙い(監督:森内康博)
ものをじっくり見て考える。そして自分なりに答えを出してみる。もしその答えが曖昧であれば、他者と時間をかけて話し合い、多様な意見の中から少しずつ納得できる輪郭を描き出す。そうした体験のひとつとして美術鑑賞を捉えると、この美術鑑賞がいかに現代の市場的な価値観と対象的な行為であるかがわかります。12歳と15歳のときに訪れた無言館に20歳になったときに訪れて、ふたたびじっくりと鑑賞し話し合う場を設定しました。
プロフィール 森内康博
『二十歳の無言館』監督。1985年生まれ。映画監督。横浜国立大学教育人間科学部卒業後、2009年に株式会社らくだスタジオを設立。CM・PV、アートプロジェクトの記録から映画製作まで多岐にわたる映像を制作。主な監督作品:『メリー・ゴー・ラウンド』『幻風景』『Museum Trip』『青色の画布』